23日に静岡市内で開かれる静岡空襲の慰霊祭に、初めて米軍の旧戦艦ミズーリ(現在真珠湾に記念艦として係留中)の関係者が招待された。
新聞によると、もともとこの慰霊祭は、静岡市内の
開業医の方が個人的に
日米合同の慰霊祭と言うことで始めたものであるそうだ。
1945年6月19日の夜の静岡空襲では、約1,700人の市民が死亡し、米軍側も、二機のB29が空中衝突して乗員23人が死亡した。
当時国民学校6年生だったこの開業医の方は、翌日B29の残骸を目の当たりにした。戦後、市内に僧侶が建立した米兵の慰霊碑を発見し、翌年個人的に慰霊祭を始めたということだ。
一方戦艦ミズーリは、1945年に2機のゼロ戦の特攻を受け、その際撃ち落した搭乗員の遺体の上半身が甲板で見つかると、戦闘中にもかかわらず、手作りの日本海軍の軍艦旗に包み水葬にふしたということだ。
市民感情から米兵の慰霊を営む例は全国的にも珍しく、彼自身も、かつての敵兵を弔うことに周囲から反発もあったそうだが、「犠牲者に敵も味方もない」と毎年続けてきたそうだ。
この新聞記事を目にし、衝撃と感動を受けた。
やはり、戦後半世紀以上経っても、戦争の悲しい傷跡は無くなることはなく、ある時にはそれが憎しみへと変わっていき、今もって様々な国家間の問題の原因になっている。
自分自身も、シンガポールにいた頃、反日のTVドラマはよく見かけたし、先輩の中には、昔石を投げられた方もいた。また、奥さんの父親から日本軍の行ってきた凄惨なことを語られたりしたこともあり、とても悲しい思いをしたこともあった。
ただ、この開業医の方や、戦時のこの僧侶や戦艦ミズーリの乗員のように、あの狂気の時代にも人間らしい行いが行われていたと言うことは感動した。
戦争の事実を、知らないこと、過ぎ去った時代のこととしてただ記憶から風化させるのでもなく、また、ただ憎しみの記憶としてのみ魂に刻まれていくのでもなく、実際に起こった事実として検証し、二度と人間の手で惨禍が繰り返されることのないように、戦争を記憶していかなければならないと思った。
毎日世界のどこかで戦闘が行われている現在、諦めの気持ちにもなりかかるが、「狂気の時代に人間らしくあった人たち」の輝かしい事実を希望に、キャンドルナイトの今夜静かに祈りたい。