先日新聞に、「
奈良時代のカレンダーが見つかる」 という記事が載っていた。
九州の太宰府市にある奈良時代創建の観世音寺から出土したもので、奈良時代後期の780年の1月の暦だったそうだ。
暦は中国(唐)から伝わった暦で、入浴、つめ切り、引越しなどその日にやって良いこと、運勢が良い方角など、現在の
易学や風水につながる吉凶が記されていたことがわかったそうだ。
また、この暦は漆の液を入れた瓶か桶のふたとして使われていたため、漆の染み込んだ部分が腐らずに残ったようだ。
奈良時代と言うと、同じ国であるにもかかわらず、どういう時代だったのかなかなか判りづらいが、
「記紀」や「万葉集」などの優れた史書や文学、東大寺に代表される仏教の興隆の様子から、自分たちが想像している以上に、文化的にも社会的にもとても優れた時代だったということが感じ取られる。
そして今回のこの暦、現在のカレンダーよりも遙かに実用的で、また、当時のゴミを捨てる穴から発見され、瓶のふたとして使われていたということから、当時としてはそんなに貴重なものではなく、現代の我々と同じ感覚で使い回ししていたんだなあと想像できる。
これらから想像できる当時の様子というのは、現代の我々の生活とたいした違いはなく (時代は回るというか、同じ風景を螺旋階段の下のほうで見るか、上のほうで見るかだけの違い) 、また、日本人というのは暦一つにとっても、生活に便利なようにいろいろと
付属機能をつけるのが好きな民族なんだなあ、「変わんないなあ」 と微笑ましく感じ取られる。
最近、古代から近代にかけてのいろいろな遺跡や資料が発見、あるいは再確認されるが、当時を色づけたり、肉付けしたり、日本人のDNAを確認したりと、歴史書や年表では感じられない実生活の息吹をプラスでき、やっと歴史がこの手に帰ってくる思いがする。
休日や深夜に、遠い昔に思いを馳せる。
なんて贅沢なんだろう。
