元大リーグマリナーズの長谷川滋利さんの静岡新聞夕刊でのコラムから・・・。
先日ホワイトソックスの井口選手がトレードされて、ビックリというかアメリカらしいと思った人が多いと思いますが、それについての長谷川さんの解説。
「プレーオフをあきらめたチームがベテランや高額契約の選手をトレードに出して若返りを図る。そして、プレーオフ進出を狙うチームは、そういう選手を上手く使ってそれぞれの課題を解消しようとする。1年という短いスパンでこれが毎年繰り返される。この現制度をつくった
米国人の合理主義 をよく反映している」
今回のトレードに驚くのは、日本人にはこのアメリカらしい
ドライな合理主義 が理解できない、というか、肌に合わないからだと思う。
結果を速く求める勝利第一主義 = 商業主義 が、結果も求めるが、それに至る方法や過程も大事とする日本には受け入れられにくいのだと思う。
それについて長谷川さん
「ひとつの考えや人材にこだわるのではなく、
それぞれの状況に応じての変化が米国の常識なのでしょう。社会そのものが短期間でお互いの利害を上手く補完させるようにデザインされている」 と。
これに対するような日本的な手法が先日見られた。
それは、中越地震で、主要メーカーが操業停止になった際の、トヨタをはじめ日本の各自動車メーカーの対応だ。<ジャスト・イン・タイム>と<集中管理>に否定的な意見が出る中で、頑固なほど頑なまでに自信を持ってシステムを守り抜いた、ある意味、
日本的な合理主義を貫いた姿だ。
同じ合理主義でも、まったく対極にあるような違いがある。
そのシステムが故に、社会や文化
にまるで科学反応のようなドラスティックな変化が起こるアメリカと、
グラデーションのごとくわずかずつ変化が起こり、知らないうちに、判らないうちに変化が生じている日本。
ただ、どちらも、人を中心に据えた考え方であるのには違いが無く、人の捉え方や方法論に違いがあるだけで、優劣のあるものではないと思う。