「赤心慶福」
まごころ(赤心)を尽くすことで、素直に他人の幸せを喜ぶことができる(慶福)と言う意味だそうだ。
毎度お騒がせ の
「赤福」の名の元になっている言葉だ。
「まき直し」と称する、売れ残った商品を冷凍保存し、注文数などに応じて解凍、再包装した日を製造年月日とし、消費期限を改ざんする手法は、冷凍保存のみならず、生の商品を再包装し、翌日「作りたて」と偽って販売していたことが明らかになった。
その数、2004年9月からの3年間で605万箱、総出荷量の18%にもなる呆れたシステムだった事が判明した。
また、「まき直し」以外にも、商品の種類を作りたてか、冷蔵解凍したものか、売れ残りかなどによって4種類に分け、社内でのみ通じる名前を付けていた事も発覚した。
とんでもないシステムが、30年も前から日常的に行われていた、愕然とするニュースだ。
以前読んだ本で、「赤福」がキオスクなどで爆発的に売れる理由として、他のどの商品よりも高く商品を積み上げ、そのボリューム感で圧倒し、それが次々さばけてゆく好評感で、更なる売上を作り上げていることとしていたが、その裏に、こんなとんでもないカラクリが在ろうとは、経済評論家でも判りますまい・・・。
呆れた錬金術だった。
このところ、今回の「赤福」や「白い恋人」、ちょっと前の「雪印」に「ミートホープ」と食品業界から、錬金術にうつつを抜かし、もっとも大切な良心や誠実さといったものを喪失した企業が続出している。
ただ、この傾向は食品業界ばかりではなく、相撲界に生保界、官公庁に政界と、ありとあらゆる業界でも留まるところを知らない。
金や名誉や栄達や虚栄に魂を売りさばき、まさに「赤心」を捨て去った出来事ばかりだ。
昨日のブログで、人間の身体能力の素晴らしさについて書いたが、ハード面の身体能力の向上や可能性は眼を見張るものがあるが、ソフト面の精神や心の面では
人間は退化しているのではないかと感じられる。
個人も、組織も、企業も、国家も、もっとも大切な気概や意気地・まごころや良心と言ったものを、置き去りにしているのではないか?
ヒトの最もヒトたる要素をないがしろにしているのではないか?
いまこそ
、「赤心慶福」の原点に全てが還る時ではないのか?
今日あるお店で、若い奥さん二人がそれぞれ子供を連れて買い物をしていると、奥さんたちが話に夢中になっているときに、女の子が友達の男の子の頭と目の辺りを思いっきり叩いていた。
男の子の悲しく寂しげな目と合ったので、「お姉ちゃん、女の子でしょ、そんなことしちゃダメじゃないの、危ないでしょ」と叱ると、女の子のお母さんも、男の子のお母さんも口を揃えてこう言った
「あなたに関係ない!」
気概を見せると痛い目にあう、今はそんな悲しい時代。
気概を見せると浮いた存在になる、今はそんな窮屈な時代。
がっくり脱力と哀しさ、情けなさに滅入ってしまった。