徴兵制

たっちゃん

2007年11月30日 23:17

「徴兵制」
随分と刺激的な言葉を使っている (意図するところを明確にするためにこの言葉を選択したのかも知れないが・・・) ため、ネットで賛否両論の大変な騒動になっているらしい。 



真意は、この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と言うことで、「学校教育では社会のモラルハザード、規範意識の欠落・希薄化は補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないか」 ということらしい。
また、重ねて 「一定期間農業を体験させる <徴農制>、介護・医療・災害復興の手伝いなどある程度強制が必要と考えている」 と強調した。

「おい、3日間の兵役って、一体何をやってきたんだい?機関銃とか撃つのか?」
「今回はねえ、地下鉄の駅に深夜終電後行って、災害や事故・戦争なんかで被害が出たときに、いかに迅速に、的確に、組織的に乗降客を非難・誘導できるかの実地訓練をやってたんだぜ」

数年前、シンガポール駐在中に、こんな会話がスタッフの男性とよく交わされた。
シンガポールは、18歳になると、一般男子は2年間の徴兵に入り、終了後も、毎年3日~10日間ほど50歳まで訓練に参加しなければならない。
もちろん、「徴兵」 と言うだけあって、実際に機関銃を撃ったりすることもあるらしいが、上の会話のように、まさに現在の自衛隊員が災害時などに行っている活動の訓練をしたりもしているらしい。
徴兵や訓練を終わってくるスタッフを見ると、目に自信や責任感の輝きをキラキラさせて仕事に復帰してくるのを、何とも不思議な気持ちで見つめていたものだ。
人の役に立っている、誰かに必要とされている、誰かと関わりあっている。
そんな充実感・責任感・一体感が彼らに自信と誇りとを与えていたのだと思う。 
無関心の嵐が吹き荒れる、今の日本では、絶対に感じとることのできない感覚だと思う。
他のモノ (人・生物・政治・環境・・・) との 「絆」 の絶対数の少なさが、無関心を増大させ、モラルの低下へと結びついているのだと思う。
「他のモノと共に在る」 と言う感覚なしに、モラルや規範意識が芽生えるはずは無い。
モラルや規範意識というものは、「共生」 の証拠であるのだから。
一人で生きているものに、モラルも何も必要は無いのだ。

残念ながら、現在の学校教育や、社会生活、さらには家庭生活の中で、この、誰かに必要とされている、共生している、と言う実感を感じとることは困難なことであろう。
また、経験なしに、想像すると言うのも、人間不可能に近いと思う。
ある程度そういう機会を与えられることによって、そういう感覚が芽生え・甦ってくると思う。
そして、一回そういう感覚が芽生えてくれば、絶対に、共生している相手への心配りが起こり、モラルや規範意識といったものが自然と成立してくるはずだ。

知事の発言も、日本全国で 「関係ない」 の大合唱ばかり聞こえる現状に危機感を感じてのものだと捉えたい。

終わりに、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
「つながり」 大事にします。

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