「やはり住む世界が違うんだなあ」
昨日のTVで、18代目中村勘三郎さんがTVアナと地元を紹介しながら歩くという番組をやっていた。

その中で、印象的な場面が2つあった。
1つは、浅草の雷門の仲見世を歩いているときに
、「中村屋!」 と声が掛かったことだ。

「あー、まだここには伝統を守る良き日本人が残っているんだなあ」 と感心・安心した。
実際に演舞場で観劇をしたことは無いが、屋号でもって声を掛ける、その間合い・声の張り・語尾・澄んだ空気・・・
「これぞ日本の伝統芸能・大衆芸能!」 と思う。
日本は
「言霊」 の国といわれるが、歌舞伎はまさに演じる役者にも、見る観衆にも
<神を宿した言葉> が存在していると思う。
もう1つは、超有名料亭での勘三郎さんの立ち居振る舞いだ。

庶民では一生に1回も行くことは無いであろう料亭を、子供の頃から行き着けにし、尊大振るわけでもなく、ごく自然な立ち居振る舞いで、女将や芸者衆と時を過ごす。 これを
「粋」 と言うのであろう。 何とも素敵な姿だった。

成金や政治家なんかが尊大ぶって金をまく 「無粋」 さとはえらい違いだ。
「芸の肥やし」 と言うけれど、やはりそういうものはあるんだなあと感じた。
先日、脱税が発覚した折の会見で、「昔からお金には無関心で・・・」 と言うようなことを言っていたけれど、「なるほど、そういうこともあるだろうなあ」 と納得してしまった。

確かに今の世では許されることではないかもしれないが、身を切り売りし、プライバシーを売らざるをえない分だけ、また、芸能と言う特殊な才能で、人々にやすらぎや・夢・感動・愁いなどを与える役割を与えられている分だけ、杓子定規にいかなくても・・・
そう、感じさせられるほど素敵な勘三郎さんでした。